我はアマゾネス。

思い出〜下手くそなイラストを添えて〜

クリスマスと手のひらピカチュウ

 

手のひらピカチュウをご存知だろうか。  

手のひらピカチュウとは、見た目は10センチぐらいのピカチュウのフィギュアで、手の上に乗せると「ピカチュウ」と鳴くオモチャである。

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小学3年生の頃、これが猛烈に欲しがった。 

CMでは、まるで本物のピカチュウが手の上にいるかのように躍動して見えた。そしてその可愛らしい声。 本物のピカチュウが買えるようになったんだ!と錯覚させる物だった。

私は発売されてから毎日親に買って欲しいとねだりまくり、親が無理と分かったらサンタさんに「お願いします。絶対に手のひらピカチュウをください」とお願いした。

ちなみに我が家はクリスマスに欲しい物が貰えるとは限らず、セーラームーンの変身ステッキをお願いした年は、枕元にレゴブロックが置かれていて本当に絶望した。(なんやかんや楽しく遊んだけど) 

そんな事もあり、より本気度が伝わるよう11月からクリスマスにかけては相当お利口に過ごしていた記憶がある。

 

そして待ちに待ったクリスマス。 

枕元には、なんと、あの、憧れの、手のひらピカチュウが置かれていた。

 

イェエエエエエエエエエエエ

 

私は狂喜乱舞して手のひらにピカチュウを乗せた。

手のひらピカチュウピカチュウ

 

 あ…あれ?

 

その声は、まるで女性アナウンサーが棒読みでピカチュウと言っているだけの音声だった。想像していたピカチュウの躍動感等が何一つもありゃしない。そこには無機質なプラスチックの塊があった。

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私は悲しみや怒りや絶望という醜い感情で心がいっぱいになった。  

そりゃそうだ。  

経済力皆無の子供にとっては、私利私欲を満たすためだけの生活には全く役に立たない欲しい物を買って貰える、年に1回のとっておきの特別な日なのだ。
その年に一度のチャンスを、私はこんな紛い物の為に使ってしまったのだ。
当時感じた絶望感は大人になった今でも忘れることはないものだった。

 

 

その日から私は手のひらピカチュウに対して思い付く全ての拷問を行った。
殴る蹴るは当たり前、思いっきり地面に投げつけては
「止めて欲しがったら本物の声で鳴くんだ!!!」
と脅迫していた。

我ながら子供の純粋さと怖さが入り交じった奇行だったと思う。

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そしてとうとう、手のひらピカチュウは「水責めの刑」の執行によって声を無くした。
この時は、「やってしまった!」という焦り、「お前が悪いんだからな!」というような怒りに清々とした気持ちを足したような複雑な気持ちになった。

こうしてピカチュウはオモチャ箱の下に姿を消した。

 

 

クリスマスになると毎年このピカチュウの事と、拷問に明け暮れる私を見つめる両親の絶妙な表情を思い出す。