私がアイコンを変えるまで
去年の7月から天野アマゾネスとしてShort Noteを始めた。
アイコンはこれ。
友達とご飯に行った時に食べたオムライスで、ウケ狙いで文字を書いたら凄い変な空気になった時の画像だ。
その時フォルダの中にあった画像の中で一番色が鮮やかだったので設定した。
ちなみにオムライス自体は特別好物という訳でもなく、好きな飲食物ランキングだと100位に入るか入らないかぐらいである。
5ヶ月ぐらい思い出話をつらつらと書いていた所、「サイトを立ち上げるので、何か書いて下さい」と、よく知らない人からよく分からないサイトのお誘いを受けた。(この時はまだサイト名が決まっていなく、後に「ナンセンスダンス」になったと聞いた時はあまりのダサさに衝撃を受けた。(今はだいぶ慣れた))
しばらくすると、サイト内でのプロフィールを設定して欲しいと連絡が来たので上記のオムライスの画像を設定した。
オムライスの画像は私が活動した5ヶ月の間で愛着が湧き、私といったらコレだと思っていたからだ。
しかし、翌日サイトの管理人から「アマゾネスさんのアイコンこれにしましょー」という言葉と共に、私がTwitterであげた適当なエッセイ漫画の私の顔の絵が加工されて送られて来たのだ。
(Twitterにあげた適当なエッセイ漫画)
(管理人から送られてきた画像)
正直、私は引き続きオムライスが良かったのだが、こういった提案が来るという事はオムライスではダメだということだ。
残念だったが、どうせなら新しい物を作る事にした。
言われて一番始めに作ったアイコンはこれだったと思う。
暗(くら)。怖(こわ)。
作り終わった後に一応第三者の目で確認した。
心の中の第三者「ちょっとセンス匂わせようとし過ぎかな。どう見られたいんだか分かんないし。あと手のシワが深すぎてキモい。」
第三者の言う通りだな。と思い、作り直した。
それで出来たのがこれだ。
実写でいきたい私の気持ちと、ボヘミアンラプソディのパロディイラストで行きたい管理人の折衷案。シワが怖い方の手も消した。
第三者からはギリギリOKをもらえたので、これをサイトのプロフィール画像に設定した。
でもしっくりこない……なぜだ。
そこから更に案を練ろうとするが、連日のアイコン作りで就寝時間が削られ、思考力もめっきり落ちてきていた。
朦朧とする意識の中仕事をしていると、1つのエピソードを思い出した。
あれは小学5生ぐらいのときだ。クラスで一番の秀才、ホマレ君とお喋りしながら下校している時だった。
私はホマレ君との下校が大好きで、彼も私と話すのは楽しんでいるように見えた。
その日、私は短パンを穿いて過ごしていたのだがホマレ君は私の膝を見るなり言った。
「アマゾネスさんの膝、象みたいだね」
象!!!!
あの!!!表面が乾燥してシワシワの!!!ゾウ!!!!
ショックだった。その日以来、私は自分の膝が嫌いになったのを覚えている。
そんな事を思い出していると閃いた。
『膝に私の顔を入れよう!!!』
思い付いてからは早かった。
どんな膝を使うか。
まず自分の膝は使いたく無かった。膝が象というのもあるが、私はフクラハギが「僕のヒーローアカデミア」の飯田天哉君なのだ。
(飯田君はフクラハギにエンジンがついていてめちゃめちゃ走るのが速いが、私にはエンジンがついてないのでただフクラハギがパンパンなだけ。実の母に「ししゃもに生まれてくれば良かったね」と言われたことがある)
となると、他の人に膝の写真を発注する必要があった。
まず、一番初めに思い浮かんだのは妹だった。妹は膝とフクラハギがキレイだった。
しかし、キレイな膝が正解かは作ってみるまでわからない。一応、汚い方の膝も用意する事にした。汚い方の膝として一番初めに思い浮かんだのは、もうすぐ還暦をむかえる父の膝であった。モジャモジャの膝から顔が出てたらどうなるのだろう。興味があった。
実家を出た私は写真を撮ることが出来ないので、昼休みに実家暮らしの妹にLINEをした。
お願いした後しばらくして、父が膝の写真を撮らせてくれるのか不安になった。
私の父は昔凄く怖くて、少しでも逆らったら怒声と拳が降ってきた。そして夜、妹からLINEが来た。
おお……!!凄い!!来た!!!
なんというか、元祖私の足って感じだ!!!!
でも思ったよりモジャモジャしてないな。色とかはいい感じなんだけど。今まで父の膝に注目したことが無かったのでなかなか新鮮だった。
ズボンが邪魔なのが気になるが、父にズボン脱いでってお願いはしづらい。
妹は父に何て言ってお願いしたんだろう。急に膝の写真を撮らせて欲しいと言われて、ズボンをたくしあげる父を想像したら感謝の気持ちでいっぱいになった。
もうこれはお父さんの膝を使おう。
あとは合成する私の顔の用意だ。私は幼少期の頃の自分の写真を探す事にした。
自慢ではないが私は幼少期、とびきり可愛いかった。画像フォルダを探していたらちょうどいい写真があった。
可愛い〜〜〜
けど、親もっと涙のケアしてよ。写真撮ってないで。
早速私は父の膝に顔を嵌め込んでみた。
良い!!!!!!
凄い可哀想!!!!!!
おじさんの膝にされた子供の悲しい泣き声が聞こえるようだ。
背景に雨のフリー素材を使用しているのだが、それも相まって更に可哀想でいい。
人間、少なからず可哀想なものを可愛いと思う思考があるものだ。
例えばゴミ箱を漁ろうとしてゴミ箱に落ちた猫、悪夢にうなされて眠りながら足を動かす犬。
この画像は、究極の『可哀想』である。即ち、究極の可愛い画像ということになる。
夜の2時、出来上がった瞬間、ヤッター!!と思って管理人の確認を得ずプロフィール画像に設定し、眠りについた。もう何を言われてもこれで行こうと決めていた。
翌日、管理人から「急に画像が変わってたのでビックリしましたー」と言われたが、「ダメです」とは言われなかったので無事にこの画像が私のプロフィールとなった。
浮かれてTwitterのアイコンもこれにした。
するとその日の昼前に父からLINEが届いた。
うわぁ…親父のノリが………
近年の父は加齢と共にかなり人格が丸くなったとは思っていたが、こんな妙なノリで話しかけてくるようになっていただなんて…。
私は父のノリに合わせるのも辛かったので、きちんと訳を伝えたら、また返事があった。
父、一人称の表記『ワ』なんだ。
ちなみに津軽弁で、『私』の事を『わぁ』と言う。それを父はカタカナで『ワ』と表記しているらしい。
訳すと『何で私の膝なの?』と父は言っていた。
Twitterとかで若い女の子に話しかけるクソリプおじさんが方言を使ったらこんな感じなんだろなぁって思った。
これが自分の父親だと思うと頭にくるぜ……なぁカカロット…。
ぼんやりオブラートに包んで説明した所
怒られた。
このまま父の機嫌を損ねたら、もう協力が得られない可能性があったので感謝の気持ちを伝えて後は適当に流した。
ちなみに私のアイコンを弟に見せた所大不評で、「気持ち悪い」「汚い」としか言われなかった。
そう言われると、不思議と「汚いし気持ち悪いなぁ〜」としか思えなくなった。
しかしこれを生み出してしまった責任は私にあるので、これからは戒めというか罰としてこのアイコンで行こうと決めたのであった。
そんなナンセンスな私ですが、ナンセンスダンスをよろしくお願いいたします。
クリスマスと手のひらピカチュウ
手のひらピカチュウをご存知だろうか。
手のひらピカチュウとは、見た目は10センチぐらいのピカチュウのフィギュアで、手の上に乗せると「ピカチュウ」と鳴くオモチャである。
小学3年生の頃、これが猛烈に欲しがった。
CMでは、まるで本物のピカチュウが手の上にいるかのように躍動して見えた。そしてその可愛らしい声。 本物のピカチュウが買えるようになったんだ!と錯覚させる物だった。
私は発売されてから毎日親に買って欲しいとねだりまくり、親が無理と分かったらサンタさんに「お願いします。絶対に手のひらピカチュウをください」とお願いした。
ちなみに我が家はクリスマスに欲しい物が貰えるとは限らず、セーラームーンの変身ステッキをお願いした年は、枕元にレゴブロックが置かれていて本当に絶望した。(なんやかんや楽しく遊んだけど)
そんな事もあり、より本気度が伝わるよう11月からクリスマスにかけては相当お利口に過ごしていた記憶がある。
そして待ちに待ったクリスマス。
枕元には、なんと、あの、憧れの、手のひらピカチュウが置かれていた。
イェエエエエエエエエエエエ
私は狂喜乱舞して手のひらにピカチュウを乗せた。
あ…あれ?
その声は、まるで女性アナウンサーが棒読みでピカチュウと言っているだけの音声だった。想像していたピカチュウの躍動感等が何一つもありゃしない。そこには無機質なプラスチックの塊があった。
私は悲しみや怒りや絶望という醜い感情で心がいっぱいになった。
そりゃそうだ。
経済力皆無の子供にとっては、私利私欲を満たすためだけの生活には全く役に立たない欲しい物を買って貰える、年に1回のとっておきの特別な日なのだ。
その年に一度のチャンスを、私はこんな紛い物の為に使ってしまったのだ。
当時感じた絶望感は大人になった今でも忘れることはないものだった。
その日から私は手のひらピカチュウに対して思い付く全ての拷問を行った。
殴る蹴るは当たり前、思いっきり地面に投げつけては
「止めて欲しがったら本物の声で鳴くんだ!!!」
と脅迫していた。
我ながら子供の純粋さと怖さが入り交じった奇行だったと思う。
そしてとうとう、手のひらピカチュウは「水責めの刑」の執行によって声を無くした。
この時は、「やってしまった!」という焦り、「お前が悪いんだからな!」というような怒りに清々とした気持ちを足したような複雑な気持ちになった。
こうしてピカチュウはオモチャ箱の下に姿を消した。
クリスマスになると毎年このピカチュウの事と、拷問に明け暮れる私を見つめる両親の絶妙な表情を思い出す。